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【雑談】先輩・後輩に見る、人との付き合い方

学校

息子が友達と帰ってくる現場に遭遇した。
爆笑している。
あまり見かけない子だったけど、会話の雰囲気から同級生みたいだ。

「新しいお友達ができたのか」と尋ねたら、「あの子は後輩だ」という。

 

え、後輩なんすか?
思いっきりため口だったけど?
若干、いじられてるようにも見えたけど??

母は、軽く混乱した。

 

息子は、身体が小さくてあまり運動が得意ではない。
性格は穏やかで、争いを好まない。
もしかして、先輩だけど見下されている感じなのか?


私の記憶では、中学校時代の縦のラインは厳しかった。
どんなに人間としてアレな感じの先輩でも、敬語が基本だった。
どんなに親しくなっても、そこそこの緊張感は残っていた。
どんなに楽しくても、完全に心の底から楽しめないくらいには。

 

だから、学年差があると聞いたとたん、さっきのあの光景がしっくりこない。
帰宅後もまだ、息子はさっきの爆笑気分を引きずっているらしく、
陽気なテンションが続いている。

 

「最近は、あれかね、先輩にため口はOKなのかね。」

ちょっと勇気を出して聞いてみた。

「うん、まぁ。気にする人もいるんだろうけど、僕は気にしない。」

という返事が返ってきた。

「先輩なのに?」

とさらに聞いてみると、食い気味に答えが返ってきた。

「先輩だから。気を遣われると楽しくない。」

 

なるほど、ですね。
その発想はなかった。

 

先ほどの後輩クンは、時々なにかと相談にくるらしい。
頼りにされているようで、嬉しいとも言っていた。


ちょっとした違和感を感じたとき、
世の中が変わったとか、世代ギャップがどうとか、
わりとなんでも安直に外部環境のせいにしがちだけど、

内面性の違いもあるわと気づいた。

 

社会人としてのマナー、という面はまた別の話としても、
こういう感覚の積み重ねが、生き方の違いにあらわれるのではないか。

 

言葉遣いだけで割と簡単に相手への敬意を示すことができる。
そういうものにこだわる人にとっては、譲れないところかもしれない。
ただ、自分はどう扱われているか?にばかりこだわっていると、
居心地の良い場所がどんどん狭められていく。

 

後輩がため口をきいている、つまり息子はバカにされている、
という極めて安直で単細胞な私の思考は、
とりあえず油をかけて燃やしたい。

【雑感】もう、情報に疲れない。

PCの画像

昨年は、新型コロナ対策やアメリカ大統領選など、意見がまっぷたつに割れる「二極化」を痛感した。

特定のメディアだけを情報源にしていると、あるところで、
「いや、そこまで言い切っていいの?」という地点にたどり着く。
試しに違うメディアに変えてみるが、やっぱり同じ地点にたどり着く。

 

結局、わたしの出した答えは、
「そこまで言い切っていいの?」という姿勢でい続けよう、ということだ。

 

将来的には、全体像がわかるだろう。わからない可能性もあるが。
いずれにせよ、今は、できることを粛々とやり続けるしかないのだ。
粛々とやり続けてきたことの、過不足がわかるまで。

 

それはさておき、メディアには色々な情報があふれている。
皇室・外交・政治・経済・教育…。
情報というよりも、「個人の意見」があふれているというべきか。
ひとりひとりが自分の考えを持つことが大事だと言われるが、
前提となる情報の選び方は、もっと大事だと思う。
そこで、情報を疲れずに選択する工夫を考えてみた。

 

 

 

1.そもそも「正しいこと」は簡単にはわからないと肝に銘じておく。

日本人はすでに集団免疫を持ってる説、たちの悪い風邪説、未だ変異を繰り返しているヤバいウイルス説、どれを聞いても、何となくそんな気がする。
ただ、今の時点で凡人の私にはっきりとわかることは、
「専門家でも、まだ完全に正体がつかめていないらしい」ということ。
ならば、凡人の私に結論など出せるはずがない。
つまり、正体をつかもうとすることは、今、私がやることではない。

そうやって、やらなくてもいいことをどんどん切り捨てていく。
必要だと感じたら、拾いなおす。
綱渡りではなく、波乗りのイメージで。

 

2.発言者の主観(意見)とデータを切り分ける。

時々、何を根拠に?と思うような言論がまかり通っていることがある。
キーワードは「普通、〇〇しますよね?」
普通ってなにさ。
言論人が誰かを批判している時に「普通」が出たら、要注意。


〇〇する→普通の人→正解
〇〇しない→普通じゃない→間違い

でもその「普通」って、その人の主観。
私は最近、2ちゃんねる創業者のひろゆき氏の得意技
「それってあなたの意見ですよね?」を常駐させている。

3.でっかい主語のご意見は、ざっくり浴びておおかた切り捨てる。

これも「普通は〇〇」に近い。
「母親は」「男性は」「大人なら」という、壮大な主語を使う意見は、
賛同も得られやすい反面、反感も買いやすいと思っている。

そもそも人間て、そんな風に大きくカテゴライズできるものだろうか?
「大人は、察して動く。」
「お母さんは、早起きして手作りのお弁当を作る。」
「アニメは、幼稚でくだらない。」
まぁ、そうなんでしょうね、あなたにとっては。

そう、あなたにとっては、ね。
冒頭の「 I think~」を常にお忘れなく。
といっても、お忘れになるだろうから、
こちらでつけよう、「 You think ~」

でっかい主語でカテゴライズするってことは、
自分に都合がいいだけのことを、万人に当てはめる行為。
聞く必要ない。アイシンク。

 

4.個人への攻撃をする言論人の意見からは離れる。

言論人の発言は、聞いているうちに、ものの見方が変わったり、選択肢が増えていくので、とてもためになると思っている。
>ただ、自分と違う意見を持つ人に対して、Twitterなどで個人の批判をし始めるのを見ると、すごくがっかりしてしまう。
意見に対する反論ではなくて、個人への批判は、理論崩壊の断末魔
「負けました」の合図だと思っている

以降、聞く耳を持てない。
この合図が出た場合、そっとフォローを外すことにしている。

 

5.なんでも対立構造にして考えない。

目の前に違う意見があったとして、なんでもかんでも対立させて考えていると、ものすごく視野が狭くなる気がする。
命か経済か、0か100か、みたいなね。
答えは常に対立した二極で、一方が勝てば一方が負けるという
考え方は、すぐに詰んでしまう。

なぜなら、答えが「人それぞれ」とか「時期による」になってしまうから。

私の業界でも、100万円あれば十分乗り切れる人と、100万円程度ではどうにもならない人がいる。
ランニングコストが全く違うのだから、平等に助けるなんて無理だ。

そもそも、こんな瀕死の状態を延命してもらっても、再度同じ状況になればそこでまた瀕死に直面。
こういう状況は、一度経験してしまうと、想定外だった頃には戻れない。

個人的には、最低限の生活費さえ保障していただければ、
将来性のない仕事まるごと救ってもらう必要はないと思っている。
ベーシックインカムさえあればなぁと、つくづく思う。

こういう考えの人が、どのくらいいるかはわからないけれど、
少なくとも、「命か経済か」という対立構造では、
私たちのようなケースが紹介されることはない。

 

まとめ

情報に良いも悪いもない。
受け取った側が、どう活かすか、だと思っている。
情報に振り回されて疲れないように、
発信者の主観を取り除くフィルターと、いったん離れる勇気を
常に持っておこうと思う。

 

 

テレビでYouTubeやプライムビデオを楽しめる/fireTVstick

fireTV

テレビが黒くてデカいオブジェになっていた。
今年は、地上波の番組をほとんど見なかった。
最新の情報はネットニュースで確認できるし、ドラマも映画もプライムビデオ。
自宅で仕事をする間は、YouTubeのBGMチャンネル。
ノートパソコンが、テレビはもちろん、ラジオやオーディオプレイヤーの役割も
すべて果たしてくれている。
そういうわけで、うちのテレビは、ただの黒いオブジェになっていた。

そうは言っても、テレビの方が優秀な面もある。
大画面なので少々離れても見えるし、たいていどこにいても音が聞こえる。
料理をしながら、洗濯物をたたみながら、目に入り、耳に入る。
ながら族の私には、ありがたい。

機器にも、やっぱり、一長一短あるもんだな。
そう思っている時に、これを見つけた。

テレビにつなぐだけでいい。
YouTubeやプライムビデオなどの映像配信サービスを
テレビの大画面で楽しめるのが、fireTVstick。
もっと他のこともできるのだろうけれど、私にはこれで十分だ。
しかも、テレビにつなぐだけでいいのがありがたい。

必要なもの

fireTV150 【Fire TV Stick本体】
家電量販店で購入。5,000円程度。
hdmi端子2 HDMI対応のテレビ】
裏側に写真のような端子があるテレビ。ほとんどのテレビについているはず。
ちなみに、我が家のテレビはパナソニック製2009年モデル。
ルーター 【ネット環境】
Wi-Fi環境のIDとパスワード。
ルーターの側面や背面に貼ってあるラベルに記載されている場合がほとんど。
コンセント 【電源】
家庭用のコンセント


設定は、やや根気よく。
通常は、HDMI端子につないだ瞬間、テレビに設定画面が表示されるので、
それに従って設定していけばよい。
私の場合はテレビ側の設定が必要だったが、すぐに解決した。
ネットに、「fireTVをテレビが認識しない時」という記事がたくさんあるので、
すぐに映らない場合は、検索してみるとよい。
▼私は、ここで解決した。
 fire TV stick をテレビが認識しないときの対処法

テレビに命を吹き込んだ
この前まで、ただのオブジェだったテレビが大活躍し始めた。
早く買えばよかった!!
今年の大掃除は、テレビの裏までしっかり掃除しようと思う。

『おもしろい』と『おいしい』は同じ。

約ネバ
主観の批評は何も生まない
鬼滅の刃を全巻読んだ人が、「何が面白いのかわからない」という感想とともに、
こんなことを述べていました。

「これを本気でおもしろいという大人は、幼稚すぎるんじゃないか?」

はい、余計なお世話です。(笑)

おもしろいかどうかは、主観です。
おいしい、まずいと同じ。
主観を批評しても、言い争いを生むだけです。

幼稚ってのも、だいぶ上から目線ですけど(笑)
最近は、新聞記事でも洗脳的な怪しいのありますよ。

鬼滅の刃が作品としておもしろいかどうかの答えなんか、
どこにもないですよ。
おもしろいと思っている人が、たくさんいるってだけです。

私は、ジブリ映画の良さがわかりません。悲しいくらいに。
でも、おもしろいと思う人がたくさんいることは知っています。
それだけです。

「おもしろい」に求めるものは、それぞれ違う。
展開が読めなくておもしろかった!
アクションシーンがおもしろかった!
哲学的でおもしろかった!

など、「おもしろさ」に求めるものは、人それぞれです。
ラーメンの好みと同じくらい人それぞれだと思います。

自分が求めたところに、何も引っかからなかった場合は
「おもしろくなかった」ということになるのだと思います。


同じ作品を違う目線で見ている
鬼滅の刃約束のネバーランドは、親子ではまっていますが、
私と息子とは、感動ポイントが微妙に違っています。

劇場版 鬼滅の刃で、煉獄杏寿郎がつらぬいた哲学は、
母の言葉「強く生まれた者の使命」を全うすることでした。

なぜ自分が人よりも

強く生まれたのかわかりますか

弱き人を助けるためです

生まれついて

人よりも

多くの才に恵まれた者は

その力を

世のため人のために

使わねばなりません

天から賜りし力で

人を傷つけること

私腹を肥やすことは

許されません

弱き人を助けることは

強く生まれた者の責務です

責任を持って果たさなければならない

使命なのです

決して 忘れることなきように

私はこれを、「裕福な家庭に生まれた者の使命」と読みました。
執拗に「鬼になろう」と勧誘する猗窩座は、私利私欲の魂。
母に恥ずかしくない生き方をしようとした杏寿郎。
私は、煉獄母の目線で泣きました。

一方、息子は、使命を果たした煉獄さんの「強靭な精神力」に対して、
強い尊敬の念を抱いたと言っています。
完全に、炭治郎目線で泣いていたのです。

約束のネバーランドに出てくる「ドン」と鬼滅の刃の「炭治郎」。
ふたりの共通点は、
「自分が弱すぎて、仲間の役に立てないのがくやしい!! 強くなりたい!」
という気持ちです。

息子はふたりに対し全面的に共感しており、
私は母として、彼らのいじらしさがたまりませんでした。

明らかに、感動の目線が違います。
若い頃に読んだ小説が、大人になって違う味わいになる、
そんな感じかもしれません。
幼稚とか大人とか、そういうものではありません。

なぜ流行ったかを詮索するよりも
これらの作品が、なぜ多くの人々の心をつかんだのかという記事をよく目にします。

冒頭の方もそうですが、自分が全くおもしろく感じなかった作品に対して
「なんでこんなものが」って思う気持ちは、わからなくもありません。

私自身、本屋大賞を受賞したある小説を読んで、
「上っ面でこんな風に描かないでよ」と思ったことがあります。
今でもその感想は変わりませんが、たくさんの人が感動していることは
知っています。

が、それだけのことです。
いい作品かどうかの基準が「たくさんの人を感動させた」ということならば、
その小説はいい作品なのだと思います。私が単に好まないというだけで。
感動している人たちに、批判的な思いもありません。

作品には、いいも悪いもなくて、もちろん、幼稚も大人もなくて、
自分に引き付けて観たときに、どこかにひっかかれば、
心がわーっと動く。ただ、それだけなのではないでしょうか。


「これを本気でおもしろいという大人は、幼稚すぎるんじゃないか?」
という意見は
「豚骨ラーメンを本気でうまいと言ってる人は、味オンチなんじゃないか?」
っていうのと同じ。

平和に行きましょう。







育児日記に必死になっていたあの頃の自分に言ってあげたいこと

 

画像

写真は、本棚の奥から見つかった16年前の育児日記。
すっかり忘れていたけど、こんなこともしてたなと思いながら
パラパラとめくってめまいがした。

「何やってんだよwww」

まったく読む気にならないが、
何時に何ccミルクを飲んだとか、何時にうんちしてどのくらい寝たとか
びっしり書いてある。
一行日記からは、だいぶ情緒不安定だったということが読み取れる。

誰のために、何を目的に書いたのかもよくわからない。
多分、書いている本人もわかっていなかったのではないか。

未来永劫どこにも需要のなさそうな、この日記のクレイジーさを見る限り、
なんか、色々間違った方向に頑張っていたんだろうな、と思う。

何でこんなことを
妊娠・出産ってマニュアルがあるようで、ない。
今思えば、自分が間違っていないことを確かめるために、
マタニティ&育児雑誌にすがっていたのではないだろうか。

私が毎月欠かさず購読していたマタニティ雑誌のメイン記事は、
ある女性の妊娠から出産までを追う、といった内容だったと記憶している。
モデル妊婦のキラキラぶりに、焦りも感じていたような。

あの頃の自分に言ってやりたい。

キラキラしてるから撮るんじゃないの。
撮られてるからキラキラに見えるの!



出産後も続くマニュアル意識
その後、今度は育児雑誌を貪り読む。
お七夜命名の儀・お宮参り・お食い初めの記録。
全てマニュアル通りにこなし、その後、離乳食にはまる。
母乳が出ない、離乳食を食べないことに始まって、
おむつトレーニングにも失敗して、毎日よく悩んだ。
眠れないくらいに。

今思えば、ほんとバカバカしいのだが、ちょっと意地らしくもある。

悩んだところで、子どものタイミングってものがあるからね。

無知は最強
ロクに料理もできないまま結婚し、すぐに子どもを授かった。
知らないことや、できないことが多すぎる。
というよりも、知らないことすら知らない。
とにかく、いろんな意味で未熟なまま親になった。
今思えば、あんな状態でよく子育てができたと思う。
知らないってことすら知らない無知と若さは、最強だ。

「できない」と思っていることの半分は、
「しなくてもいいこと」だったりするからね。

育児は最大の偉業
自分の仕事に関していうと、
そこまで世の中に貢献していると思っていない。
そして、これからも、おそらく仕事で偉業を達成することはない。
とすると、自分の最大の偉業は、育児だったのではないか。
とりあえず、赤ちゃんというサルっぽい生き物を「ヒト」に育てた。
ごはん食べさせてたら勝手に育った気もするのだが。
知育に関しては、学校や地域の役割も大きい。

いやいやともかく。

自分の役割を大ごとにとらえなくていい。
やらないことを、後ろめたく思う必要はない。
「できない」と悩む必要は、もっとない。
少々手を抜いても、サボっても、子は育つよ。


育児に悩み不眠症気味だった私へ。
今、高校生の息子は、よく食べるし、もちろんトイレも自分で行く 笑。
友達もできて、毎日楽しそうにやってる。

子どもができると、前と同じことができなくなる。
それは、能力の問題ではないのに、できている人を見ると、焦る。
さらに、ホルモンバランスがおかしくなるのか、寝不足でおかしくなるのか、
異常に情緒不安定になり、とにかく思考が暗い方に壮大になる。
そして、思いつめて泣く。

今となっては、「何やってんだよ」って一笑に付すところだが、
当時は目の前のことしか見えなくなっていて、がんじがらめだったのだ。
方向は間違っていたかもしれないけれど、ただ、一生懸命だった。
それだけは、自分を労ってやりたいと思う。

眠れないほど思い悩みながら、よく頑張った。
今、子は高校生になり、元気に育っている。
しかしそれは、睡眠を削って思い悩んだ結果、ではない。
今すぐ寝たほうがいい。

【読書】『知の教室』苫米地英人/ためになる本とはこういうもの。

 

知の教室



あらすじ・要点

Q.博士、四次元ってなんですか?
A.それは「待ち合わせ」で考えれば簡単にわかるよ。

Q.悟りって答えが見つかるってことじゃないんですか?
A.違うよ。悟りって問題解決の手段じゃないよ。問題を認識しないことだよ。

Q.時間は未来から過去に流れるんですか! ?
A.科学ではすでにそれが常識、相対論では時間はマイナスだからね。


注目・効能
世の中をシンプルにとらえる方法とコツを伝授してもらえます。
フラットな考え方プラス、怒りなどの「感情」との付き合い方も。

ありがたいことに、この本と出合ってから、
私が抱えている(または抱えていると思っている)問題の大部分は、
たちどころに解決してしまいました。
問題があまり起きなくなったとも言えます。
つくづく、凡人で良かったと思います。

ですが時々、ものごとを複雑にとらえる思考癖が顔を出すことがあります。
例えば、何か不都合が起こったときに、「相手を変化させる」方向に
考え始めたときが、そういう時です。

そういう時はたいてい、愚痴・不平不満を周囲に巻き散らかしているので
よくわかります。

もちろん、自分は正義だと叫びたいケースもあります。
ですが、自分の正義にこだわり続けると、
不満を抱えたまま、その場にとどまり続けなければなりません。
そこにいるかどうかは、自分の選択です。

人気アニメ『ワンピース』に登場する黒ひげの名言に、

やめときな、正義だ悪だと口にするのは!!
この世の何処を探しても答えはねェだろ くだらねェ!!!

というものがあります。
黒ひげは、すごく悪い奴なのですが、この名言は真理だと思います。 

そもそも、価値観の数だけ存在している「正義」なんて持ち出したら、
ものごとがややこしくなって当然です。

自分が正義だと思っているから、不愉快な感情を巻き散らかすのです。
それは、驕りです。
正義などないとわかっていれば、おのずと答えは見えてきます。

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【雑感】やめたら幸せになったこと

お弁当

朝のお弁当作り
朝が弱く、仕事も夜遅い。朝のお弁当作りは本当に苦痛だった。
お弁当作りのためだけに起きて、息子を送り出してまた寝る。

5時間と3時間という分割睡眠は私には合わなかった。
眠いのと体がだるいのとで、朝から晩までイライラし通しだった。
そして、寝ぼけて何度も卵を残飯コーナーの中に割り入れる。

そんなわけで、息子がお弁当を残して帰ろうものなら、
腹立たしさを隠し切れなかった。

早起きは三文の得というけれど、私の場合、実践しても眠いだけ。
とにかく、連続して眠れる時間を確保したい。

 

世のお母さんたちは、やっていることではないか!?
この心の声に弱い。
劣等感でめちゃくちゃな気分になる。
たかがお弁当作りに、ここまで滅入っている私は、母親失格なのではないか。
いい母親じゃなくてもいいから、当たり前のことは苦痛に思わずやれ。
心の声がさらに責めてくる。

 

冷凍食品を研究していると
最近の冷凍食品は優秀である。
とりわけ「自然解凍OK」は神である。
ただ、手作りではないことが、ちょっと後ろめたいだけだ。

しかし、ある日気づいてしまった。
ハンバーグ・きんぴら・ひじきの煮物…
作って冷凍しておけば、それは手作り弁当なのではないか。

 

お弁当のおかずを作る日
仕事が休みの日に、お弁当用の煮物と揚げ物を大量に作り
小分けにして冷凍しておく。
朝の忙しい時間ではとても作れないようなおかずも入れられる。

寝る前にセッティング
卵焼きとウインナーは夜のうちに焼いておく。
それと、自作の冷凍おかずをセッティングし、
ごはんだけは炊き立てになるようタイマーをセットしておく。

 

ごはんを詰めるのだけお願いね
炊き立てのごはんを詰めれば、お弁当は完成。
それは、朝、息子が自分でやっている。
もちろん、私が寝ている間に。

毎朝、幸せな気分で目が覚める
十分な睡眠がとれることは、最高に幸せだ。
気分も体調も良くなった。
私を毎朝責めていた心の声も、影をひそめている。
気分よく過ごしているのだから、たとえ自分であろうと、
責められる筋合いはない。

「こうじゃなきゃダメ」っていう思いこみを
捨てたその日から幸せになった。