お気に入り、時々つれづれ

映画、本、お気に入り、つれづれ

やたらクセになる みうらじゅんがスキすぎる件

から「顔と名前だけはわかる謎な人」だった。

「マイブーム」とか「ゆるキャラ」の生みの親ってことも

最近知った。

 

みうらじゅんさんにガチはまりしたきっかけは、

TBSラジオ安住紳一郎の日曜天国」のゲストコーナーだった。

安住さんが、いつもより明らかに楽しそうに声をはずませていて、

「あぁ、安住さんはみうらさんが大好きなんだな」って

すぐにわかった。

そして、わたしもみうらさんの世界にハマってしまった。

 

安住紳一郎の日曜天国

 

深く考える要素は全くなく、思いつきで乗っかるスタイル。

まさに雑談オブ雑談。

かと思えば、時々、

ブディスト的な深い話をぶっこんできて、

諸行無常!」と叫ぶのもみうらさんの魅力。

 

だらなくて、ちょっとエロくて、いろんな意味でマニアック。

はっきり言ってついていけない時もあるのだが、

半笑いの幸せを味わえる。

 

みうらさんは、相方がいると魅力が倍増する。

特におもしろいのは、

 

みうらさん ✕ いとうせいこうさん

【ザツダン!】

 

【見仏記】

 

みうらさん ✕ 安齋肇さん

TR2

 

みうらさん ✕ 山田五郎さん

【男同士】

 

 

ウトドア般若心経は大傑作。

文字通り、般若心経の感じをアウトドアで探して激写するという

みうらさんのフィールドワーク(?)

お披露目会がまた最高にくだらなくて笑える。


www.youtube.com

 

ジオだけでなくこんなものを発見。

 

タキング岡田斗司夫さんが自身の番組について

「理想系は、みうらじゅん」と言っていた。

好きなことを好き放題やっても、

「みうらさんだから仕方ない」ってなる感じが羨ましいって。

 

確かに、職業は「イラストレーターなど」って紹介されるけど、

もう、職業「みうらじゅん」でいいと思う。

 

みうらさん、ずっとお元気で、これからも楽しませてください!

 

 

【雑談】カテゴライズしたがる心理~グラデーションの一部でよくない?

近、SEKAI NO OWARIの「Habit」って曲の歌詞に

グッときている。

  みんな自分を分類・区別したがるけど、その悪い癖やめようよ、

  だって、君に自分を分類する能力なんかないんだから

ってニュアンスの歌詞なんだけど、ほんと同意!!

 

愛的指向だけでも、色々なカテゴライズがあるらしい。

この前、何かで見たのだが、ある女の子が深刻に悩んでいて、

(確か、恋愛的指向についてだったと思うのだが)

「自分は分類としては○○なのに、違う部分がある。

自分のカテゴリがわからなくて苦しい」と。

 

彼女にとって苦しいのは、はっきり分類されない状態なのだ。

そもそも、分類する必要ないのでは?

分類する意味ある? と

ずーーーーっと意地悪くつっこんでいたのだが、

気持ちが全くわからないわけではない。

 

分の意志に関係なく、所属させられている集団と

同じ感情になれず違和感ばかり感じていた小中学生の頃は、

自分は欠陥人間なのではないかと、すごく悩んだ時期があった。

でも、環境が変わって世界が広がった時、

同じ感覚の人が割と存在すると知って、安心したのを覚えている。

むしろ所属していた集団が「八つ墓村系」だったと気づいたときは、

耐え抜いた自分を絶賛したい気分にすらなった。

 

例え自分がマイノリティ側だったとしても、

カテゴライズされると居場所ができる。

その、「居場所がある」って感覚は、ちょっとした安心感を生む。

でも、その分類作業は、厳密にできるもんじゃない、

ということだけは頭の隅に置いておきたい。

 

は7色ではない。国によって認識が違うそうだ。

日本人は7色だと思っているが、ドイツ人は5色だと思っている

それに、虹は光のグラデーションだから、色の境界は曖昧。

正確に、どこからどこまでが何色とは決められないのだ。

www.blanc39.com

 

同じ虹を見ても、国によって色の認識が違ったり、

そもそも色の境界がはっきりしないように、

人をカテゴライズする時の精度は、その程度だと思う。

色んな要素を持っているし、環境や時間の経過で変わりうる。

ちょうど、シャボン玉の表面のようなものじゃないかな。

 

 

分探しなんかしない方がいいと思ってる。

「本当の自分」なんて、どこにもないんじゃないかな。

会社とプライベートでは、どっか別人だったりするし、

リードしたり、甘えきったり、相手によっても違う。

 

グラデーションカラーのたくさんの要素を持ってて、

シャボン玉の表面のようにうつろってる。

「自分がどういう人間か」なんて、

そのくらい曖昧でいいんじゃないかな。

私は、それこそ考える意味もないと思っている派だけれど…。

 

性がない、目標がない、夢を追いかけてない、、、

自分をそういう目で見始めた時、「自分探し」をしたくなる。

たいていは、退屈な時間がそうさせるのだが。

 

そういう時は、自分を探しにいくんじゃなくて、

自分を徹底的に甘やかしてみるといい。

1個500円の梨を食べてみる、

肌触りのいいタオルやパジャマに替える、

ティッシュやトイレットペーパーを少しだけいいものにする、

履き心地の良い靴に新調する…

 

そんなにお金をかけなくても、

使う頻度が高くて肌身に触れるものの質を少し上げるだけで

「あ~美味しい!」「あ、気持ちいい!」の小さな積み重ねがある。

 

それは、結構な幸せを感じさせてくれると思う。

しかも、割と頻繁に。

 

幸せを感じるのって、一日中ずっと、ではないにしても、

毎日、小さな幸せを感じる、それで十分じゃないかな。

 

 

【雑談】にわかミニマリストの末路?~自分を丁寧に扱う方が大事と気づく

越しと同時に断捨離しまくった。

衝動買いで保管されたため、全く活躍できなかったモノたち。

ごみ回収日の前日、

「不要」のゼッケンつけられて隅っこに集められたモノたちからは、

「使ってもらえたら、お役に立てたのに…。」

「えみためさん、ありがとうそしてさようなら。」

って声が聞こえてくるようで、私は罪悪感風呂に首までつかった。

あの光景だけは忘れられず、

「考えすぎるほど考えてから買う」と固く誓ったのだ。

 

あの日以降、軽くミニマリスト気取ってたもんで、

「買う前に一旦なにかで代用する」精神を徹底していた。

ないことで生産性が著しく低下すると判断したモノだけを買う精神。

が、見事にあだとなり、流行り病で地獄を見ることに。

 

ょっとノイローゼだよね w

って失笑買うほど感染対策していた私が、ついに流行り病になった。

アポなく突然来るのやめてほしいんだけど、突然来るのが病だ。

準備万端の時に来てくれることはまずない。

 

うっかりミスではすまないくらい困った。

「いったん何かで代用する」精神によって、この緊急時に

ことごとく必要なモノがないのだ。

 

加湿器の代わりに部屋干し、冷えピタの代わりに保冷剤、みたいに、

ワンアクション(もしくはそれ以上)加えれば、確かに代用できる。

いや、できていた、通常モードの時は!

しかし、緊急モードの時はスピード×効果が絶対なのだ。

 

シーツやパジャマ、食器、日用品、すべて最小限しかなかった。

しかも、週2千円生活という節約活動中につき、食糧すらない。

とにかく「予備の保管」がダサいと決め込んでいたもんで、

高熱で身動きができなくなった瞬間に、ツんだ。

 

部屋がカラカラに乾燥し、湿度計が29%になったころには、

喉に得体の知れない何かが一日中張り付き、

唇の皮が次々に剥げてきて、

順調にミイラ化されているのを実感した。

 

朦朧とする意識の中、暗闇でスマホを握りしめ、

「断捨離なんかくそくらえ!」と叫びながら、

「加湿器 マコなり おすすめ」でAmazonお急ぎ便をポチった。

 

湿器が我が家に来て以来、のど・鼻・肌が劇的に快適になった。

メッシュ生地の椅子に触るたびに静電気で感電する罰ゲームからも

解放された。

特に、私の場合、背中や足の乾燥が全くなくなった。

価格は1万5千円程度。なんでもっと早く買わなかったのだろう。

 

ミニマリストも節約生活も、それなりに楽しんでいたけれど、

だんだん、手段の目的化が進んでいた。

 

モノも服も買わない、食事は質素、を約1年続けて、

できた貯金はわずかだった。

小さな我慢のチリツモとこの貯金額、

天秤にかけたら割に合わないのでは?

そもそも生きることにコストはかかるのだ。ゼロにはならない。

 

だいたい、なんのためにチマチマ節約してるんだ?

高級老人ホーム狙ってるなら、この貯金じゃ無理だぞ?

明日生きてる保証はないのに、こんなことしてていいのか?

 

つまりは、

もっと自分を丁寧に扱ってもいいのでは?

 

一日中ベッドで朦朧としながら、そんな事ばかり考えていた。

 

復してからというもの、ネットのポチりがすごかった。

特にAmazon。こういう時はすぐに届くことが重要なのだ。

1年間の貯蓄を吐き出し、アメリカ経済をグルグル回してやったぜww

Amazon配達員は、「またアイツやw 買い物依存症かぇw」

って多分なってるけど気にしない。

 

単に物欲が湧いたわけではない。

必要だと思いつつ我慢していたモノや、

快適でないと感じつつ使い続けていたモノを一気に買い直したのだ。

 

食糧は、スーパーの配達を使って、新鮮な魚や果物を買っている。

パプリカやアボカドなど、前回購入実績10年前とかいうものも、

食べたいと思ったら一切ためらわない。

少々割高なんだろうけど、

冷蔵庫の中を吟味して無駄なく注文できるし、

100円で配達してくれるのはありがたい。

雨の日も気にしなくていい。

 

日用品・消耗品は、少しだけグレードを上げた。

質の悪さを値段でカバー(通称:安かろう悪かろう)は卒業。

プラの食器を陶器に変えたら、料理の味が全く違って感じた。

なるべく「日本製」や、質が良いもの選んで、大事に使っている。

 

洋服は、ユニクロで冬物だけ一新した。

薄くなった肌着、息子のジャージ、快適でない化繊のパジャマ、

顔色が映えず形も気に入らない仕事着は、思い切って処分。

綿のパジャマと、気に入った色のカシミアのセーターを新調した。

 

ニマリスト的生活や、小さな我慢がチリツモな節約生活は、

私には不向きなようだ。

病み上がりで爆買いしてから気づいたのだが。

日々繰り返される、小さな我慢の蓄積は、

自分が思ってる以上にストレスだったんじゃないかな

って思う。

元気で暇だからできてたようなものの、生産性は実に低い。

 

特に、食事に関しては、完全に動物性たんぱく質が不足していたし、

量も足りていなかった。

味覚を満足させることなく、空腹を満たすだけの食事だった。

 

実際、必要な日用品が(代用なしで)必要なだけある、

嗜好品であっても、食べたいものは我慢せずに食べる、

肌に合った衣類・寝具に変える、

これだけで、「私、生きてるわぁ!!」って実感している。

 

ミニマリスト:持たない」とか、「断捨離:捨てる」とかは、

快適に過ごすための手段。

 

やってる人を決して否定する気はないけれど、

私にとって快適に過ごすための手段とは、

モノを過不足なく持ち、整頓し、無駄なく使い、

心地よい衣食住を満たす行為全般。

自分を大切に扱ってるな、っていう実感を得るための消費。

 

そっちだな、と気が付いた。

 

 

【映画】アリー スター誕生|愛か、病か。

アリー

最後にジャクソンがとった行動は、「愛」か「病」か?

実話がベースというか、厳密には「モデルとなる人物がいた」ということらしい。

「あのレディガガだ」という事実だけで、十分画面に引き付けられるが、

ストーリー的には退屈で、ベタな展開だ。

むしろ、「これをどう着地させる気だ?」という思いでいっぱいだった。

そして、迎えた最後のシーン。

なぜか私は泣いていた。

 

やっぱり、ガガの歌声は、内面にぐわーっ!!と響いて鳥肌が立つ。

さすが。

 

アリー(レディ・ガガ)にとって、愛する人であり、夢を叶えてくれた恩人でもある

ジャクソン(ブラッドリー・クーパー)。

彼は、複雑な境遇と繊細過ぎるメンタルの持ち主で、

アリーと出会った時にはすでに立派なアル中に仕上がっていた。

 

色々とやらかすが、どうしてもアルコールを断つことができない。

そしてついに自分でも引き受けきれないほどの大失態をしでかしたジャクソンに、

「いいのよ。病気だから仕方ないの。」と許すアリー。

 

これは、「大きな愛」とか「深い愛」とかいう言葉では片付かない。

ちょっと理屈っぽくなるけど、大きいとか深いというのは、相対的な言葉だ。

より大きくより深い方が良い、というニュアンスを含む。

そもそも目に見えない「愛情」に良いも悪いもない。

 

周りに何と言われようが、アル中だろうが、その人が必要だということ。

幸せにしてくれるかどうかではなく、必要かどうか。ただそれだけだ。

 

今となっては、もうこんな浮き沈む愛は99.99999%無縁だけど、

若い頃に感じた、「愛こそ無敵!」な感じをちょっとだけ思い出せる。

キャスト

監督:ブラッドリー・クーパー

出演:レディー・ガガ, ブラッドリー・クーパー, アンドリュー・ダイス・クレイほか

あらすじ

自分に自信がなく歌手の夢を諦めかけていたアリー。有名ミュージシャン=ジャクソンとの偶然の出会いが、彼女の人生を大きく変える。――「君の歌は奇跡だ」ウエイトレスから一気にスターダムを駆け上っていくアリー。激しく惹かれあうジャクソンと、全米のステージで一緒に歌う幸せな日々を過ごすが、次第に自分を見失っていき・・・。愛と成功のはざまで、最後に彼女がつかんだものとは――?

Amazon作品紹介より

【映画】それでも夜は明ける|とことん人間の所業が恐ろしくなる「奴隷」という制度。

それでも夜は明ける

違法かどうかという以前の問題かと。

世界史の授業で奴隷制度を習ったときは、ここまで残酷なイメージがなかった。

今さらながら、自分の無知が恥ずかしい。

 

これが実話ベースというのが本気で恐ろしいのだが、

この映像以上のこともあっただろうと推察される。

 

何かしらそれらしい理屈をつけて、黒人奴隷を痛めつけるが、

あそこまでやるのは、欲求不満のはけ口以外の何ものでもない。

 

例え違法でなくたって、動物やモノにだって、あんな風にはできない。

 

痛みと苦しみでゆがんだ顔を見ても、ためらうことなくムチを振り続ける。

死なないギリギリで吊り下げられた奴隷のそばで、子どもたちが走り回っている。

あの光景は、この残酷な仕打ちが日常だったということを物語っていて、

絶望的な気分になる。

人間は、ここまで残酷になれるのか…。

 

当時、違法ではなく、価値観として普通だったのかもしれないけれど、

やらない人はやらないよね。

 

最後のシーンを「よかったね」と感じるか

「え…」と感じるか。

 

もう一度見たいと思う映画ではないけれど、

奴隷や差別について語るなら、「知っておくべき」だと思う。

キャスト

監督:スティーヴ・マックィーン

出演:キウェテル・イジョフォー, マイケル・ファスベンダーほか

あらすじ

1841年、ニューヨーク。家族と幸せな日々を送っていたバイオリン奏者ソロモンは、ある日突然誘拐され、奴隷にされる。彼を待ち受けていたのは、狂信的な選民思想を持つエップスら白人による目を疑うような差別、虐待そして”人間の尊厳”を失った奴隷たちだった。妻や子供たちと再び会うために彼が生き抜いた11年8カ月と26日間とは。

Amazon作品紹介より

 

【映画】マディアおばさんのドタバタNY事件簿 |とにかく、無茶で規格外のマディアおばさんが最高。

マデイ アおばさんのドタバタNY事件簿

こんな風に笑える映画に救われる日もある。

自粛、自粛で、行動範囲も発言もどんどん小さくなっている。

命にかかわることだから、めったなことが言えない。

ウイルスとの戦いにおいて、

「完璧に、完全に勝利」できないと思っている人と

「完璧に、完全に勝利」できると思っている人とのかみ合わない話を、

ショーとして見せられている気がして、地上波を見るのを辞めた。

 

今の時点で誰にも分らない(証明できない)ことを語る時には、

その人の死生観が少なからず影響しているような気がする。

 

「何が何でも死にたくない」

「いつかは死ぬのだから、仕方ない」

「自分はいいけど、死にたくない人を巻き込むのは嫌」

 

こういう死生観の違いって、「正解のない問題」の典型だと思う。

それぞれに自分の正解があって、それぞれに影響し合うから、

お互いに尊重しづらい。

親子ですら、全然違うことを考えていて、ちょっと歯車が狂うと

言い合いになってしまう。

 

衣食住そろって、暑さ寒さもしのげるのに、

なんか、窒息しそうだよねぇ。

 

ということで、一瞬色んなことを忘れられる映画。

マディアおばさんが、言いたい放題やりたい放題。

特に、強盗相手にマディアおばさんが見せるドライブテクニックは大爆笑。

にぎやかで騒々しいけれど、本当におもしろい作品。

笑って笑って、免疫力アップ!!

 

キャスト

出演:Tyler Perry, Eugene Levy, Denise Richards ほか

あらすじ

マディアが新作で帰ってきた! ウォール街投資銀行家が、マフィアの絡んだネズミ講型投資詐欺の犯人にされてしまう。証人保護プログラムの元、有無を言わさず、彼は家族全員で南部に住むマディアの家に居候することに。Amazon作品紹介より

 




 

【映画】ショーシャンクの空に|希望を持って、外の世界に出てみよう。

ショーシャンクの空に

つらさを自覚することが、最初の一歩。

主人公アンディが無実の罪で放り込まれたショーシャンク刑務所。

そこは、人権のじの字もないほど劣悪だった。

そんな過酷な環境での「希望」が、ひとつのキーワードになっている。

 

入るかどうか自分の意志で決められないのが刑務所だが、

何かに囚われて不自由を感じ、苦しんでいるのなら、囚人も同じだ。

 

私が中学まで育った田舎は、ものすごく過干渉で閉鎖的だった。

娯楽施設がひとつもない。本屋もない。時代的に当然ネットもなかった。

とにかく、やることがないので人の話ばかりしていた。

 

息苦しくてたまらなかった。

 

何もなくていいから、ただひとつ、大きな図書館があれば、

もっと豊かになれたのにと思ったりもする。

 

私は、あの町でずっと生きるのは無理だと思っていたし、

高校入学と同時に町を離れて下宿することが決まっていたので、

とにかく、それまで耐えようと思っていた。

ふるさとを離れることが「希望」だったのだ。

 

社会人になってから、「自由」を味わった。

しみついた田舎根性がさらけ出されて、恥ずかしい思いをしたこともあったが、

それでも、囚われない生活ができるのは幸せだ。

 

時々、田舎に帰ってみるが、いまだ本屋も図書館もない。

そして相変わらず、

「あそこは相続でもめている、あそこは孫が就職できないでいる…」

町の人は、他人の家庭事情を話すのが好きだ。

口の中に砂が入ってしまったような、ざらざらした気分になる。

美しい景色と、きれいな空気と、満開の星空が、ものすごくミスマッチだ。

 

今考えてみれば、私にとっては、田舎での幼少期は囚人みたいだった。

自分の力では、決して変えられない。あらがうので精一杯。

だから、外の世界に出ていくことが「希望」だった。

そして、外の世界には、思った通り「希望」があった。

 

たくさん本を読めた。色んな仕事を経験できた。親しい友達もできた。

面倒なことも時々起こるが、それは「自由」がもたらしたものではない。

裕福とは言えないけれど、衣食住の不自由はない。完璧に幸せだ。

 

なにかうまくいかない時に、原因を自分の中に探しがちだけど、

問題は「居場所」である可能性も、ゼロではない。

追い詰められてしまう前に、「希望」を持って、居場所を変えてみるのも

ありなのではないかと思う。

 

この映画は、悪党はとことん悪党に描かれている。

ハンカチをギリギリと噛みちぎりたくなるほど、憎たらしいのだ。

ラストシーンを観た今の気分を書くと、ネタバレになるので、

「ぜひ味わってほしい。」とだけ。

 

キャスト

出演:ティム・ロビンス, モーガン・フリーマン, クランシー・ブラウンほか

あらすじ

1947年、若くして銀行副頭取を務める優秀な銀行員アンドリュー・デュフレーン (アンディ)は、妻とその愛人を射殺した罪に問われる。無実を訴えるも終身刑の判決が下り、劣悪なショーシャンク刑務所への服役が決まる。Wikipediaより