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【雑談】にわかミニマリストの末路?~自分を丁寧に扱う方が大事と気づく

越しと同時に断捨離しまくった。

衝動買いで保管されたため、全く活躍できなかったモノたち。

ごみ回収日の前日、

「不要」のゼッケンつけられて隅っこに集められたモノたちからは、

「使ってもらえたら、お役に立てたのに…。」

「えみためさん、ありがとうそしてさようなら。」

って声が聞こえてくるようで、私は罪悪感風呂に首までつかった。

あの光景だけは忘れられず、

「考えすぎるほど考えてから買う」と固く誓ったのだ。

 

あの日以降、軽くミニマリスト気取ってたもんで、

「買う前に一旦なにかで代用する」精神を徹底していた。

ないことで生産性が著しく低下すると判断したモノだけを買う精神。

が、見事にあだとなり、流行り病で地獄を見ることに。

 

ょっとノイローゼだよね w

って失笑買うほど感染対策していた私が、ついに流行り病になった。

アポなく突然来るのやめてほしいんだけど、突然来るのが病だ。

準備万端の時に来てくれることはまずない。

 

うっかりミスではすまないくらい困った。

「いったん何かで代用する」精神によって、この緊急時に

ことごとく必要なモノがないのだ。

 

加湿器の代わりに部屋干し、冷えピタの代わりに保冷剤、みたいに、

ワンアクション(もしくはそれ以上)加えれば、確かに代用できる。

いや、できていた、通常モードの時は!

しかし、緊急モードの時はスピード×効果が絶対なのだ。

 

シーツやパジャマ、食器、日用品、すべて最小限しかなかった。

しかも、週2千円生活という節約活動中につき、食糧すらない。

とにかく「予備の保管」がダサいと決め込んでいたもんで、

高熱で身動きができなくなった瞬間に、ツんだ。

 

部屋がカラカラに乾燥し、湿度計が29%になったころには、

喉に得体の知れない何かが一日中張り付き、

唇の皮が次々に剥げてきて、

順調にミイラ化されているのを実感した。

 

朦朧とする意識の中、暗闇でスマホを握りしめ、

「断捨離なんかくそくらえ!」と叫びながら、

「加湿器 マコなり おすすめ」でAmazonお急ぎ便をポチった。

 

湿器が我が家に来て以来、のど・鼻・肌が劇的に快適になった。

メッシュ生地の椅子に触るたびに静電気で感電する罰ゲームからも

解放された。

特に、私の場合、背中や足の乾燥が全くなくなった。

価格は1万5千円程度。なんでもっと早く買わなかったのだろう。

 

ミニマリストも節約生活も、それなりに楽しんでいたけれど、

だんだん、手段の目的化が進んでいた。

 

モノも服も買わない、食事は質素、を約1年続けて、

できた貯金はわずかだった。

小さな我慢のチリツモとこの貯金額、

天秤にかけたら割に合わないのでは?

そもそも生きることにコストはかかるのだ。ゼロにはならない。

 

だいたい、なんのためにチマチマ節約してるんだ?

高級老人ホーム狙ってるなら、この貯金じゃ無理だぞ?

明日生きてる保証はないのに、こんなことしてていいのか?

 

つまりは、

もっと自分を丁寧に扱ってもいいのでは?

 

一日中ベッドで朦朧としながら、そんな事ばかり考えていた。

 

復してからというもの、ネットのポチりがすごかった。

特にAmazon。こういう時はすぐに届くことが重要なのだ。

1年間の貯蓄を吐き出し、アメリカ経済をグルグル回してやったぜww

Amazon配達員は、「またアイツやw 買い物依存症かぇw」

って多分なってるけど気にしない。

 

単に物欲が湧いたわけではない。

必要だと思いつつ我慢していたモノや、

快適でないと感じつつ使い続けていたモノを一気に買い直したのだ。

 

食糧は、スーパーの配達を使って、新鮮な魚や果物を買っている。

パプリカやアボカドなど、前回購入実績10年前とかいうものも、

食べたいと思ったら一切ためらわない。

少々割高なんだろうけど、

冷蔵庫の中を吟味して無駄なく注文できるし、

100円で配達してくれるのはありがたい。

雨の日も気にしなくていい。

 

日用品・消耗品は、少しだけグレードを上げた。

質の悪さを値段でカバー(通称:安かろう悪かろう)は卒業。

プラの食器を陶器に変えたら、料理の味が全く違って感じた。

なるべく「日本製」や、質が良いもの選んで、大事に使っている。

 

洋服は、ユニクロで冬物だけ一新した。

薄くなった肌着、息子のジャージ、快適でない化繊のパジャマ、

顔色が映えず形も気に入らない仕事着は、思い切って処分。

綿のパジャマと、気に入った色のカシミアのセーターを新調した。

 

ニマリスト的生活や、小さな我慢がチリツモな節約生活は、

私には不向きなようだ。

病み上がりで爆買いしてから気づいたのだが。

日々繰り返される、小さな我慢の蓄積は、

自分が思ってる以上にストレスだったんじゃないかな

って思う。

元気で暇だからできてたようなものの、生産性は実に低い。

 

特に、食事に関しては、完全に動物性たんぱく質が不足していたし、

量も足りていなかった。

味覚を満足させることなく、空腹を満たすだけの食事だった。

 

実際、必要な日用品が(代用なしで)必要なだけある、

嗜好品であっても、食べたいものは我慢せずに食べる、

肌に合った衣類・寝具に変える、

これだけで、「私、生きてるわぁ!!」って実感している。

 

ミニマリスト:持たない」とか、「断捨離:捨てる」とかは、

快適に過ごすための手段。

 

やってる人を決して否定する気はないけれど、

私にとって快適に過ごすための手段とは、

モノを過不足なく持ち、整頓し、無駄なく使い、

心地よい衣食住を満たす行為全般。

自分を大切に扱ってるな、っていう実感を得るための消費。

 

そっちだな、と気が付いた。