映画エッセイ

映画を観て感じたことを軽い気分でつづります。

『おもしろい』と『おいしい』は同じ。

約ネバ
主観の批評は何も生まない
鬼滅の刃を全巻読んだ人が、「何が面白いのかわからない」という感想とともに、
こんなことを述べていました。

「これを本気でおもしろいという大人は、幼稚すぎるんじゃないか?」

はい、余計なお世話です。(笑)

おもしろいかどうかは、主観です。
おいしい、まずいと同じ。
主観を批評しても、言い争いを生むだけです。

幼稚ってのも、だいぶ上から目線ですけど(笑)
最近は、新聞記事でも洗脳的な怪しいのありますよ。

鬼滅の刃が作品としておもしろいかどうかの答えなんか、
どこにもないですよ。
おもしろいと思っている人が、たくさんいるってだけです。

私は、ジブリ映画の良さがわかりません。悲しいくらいに。
でも、おもしろいと思う人がたくさんいることは知っています。
それだけです。

「おもしろい」に求めるものは、それぞれ違う。
展開が読めなくておもしろかった!
アクションシーンがおもしろかった!
哲学的でおもしろかった!

など、「おもしろさ」に求めるものは、人それぞれです。
ラーメンの好みと同じくらい人それぞれだと思います。

自分が求めたところに、何も引っかからなかった場合は
「おもしろくなかった」ということになるのだと思います。


同じ作品を違う目線で見ている
鬼滅の刃約束のネバーランドは、親子ではまっていますが、
私と息子とは、感動ポイントが微妙に違っています。

劇場版 鬼滅の刃で、煉獄杏寿郎がつらぬいた哲学は、
母の言葉「強く生まれた者の使命」を全うすることでした。

なぜ自分が人よりも

強く生まれたのかわかりますか

弱き人を助けるためです

生まれついて

人よりも

多くの才に恵まれた者は

その力を

世のため人のために

使わねばなりません

天から賜りし力で

人を傷つけること

私腹を肥やすことは

許されません

弱き人を助けることは

強く生まれた者の責務です

責任を持って果たさなければならない

使命なのです

決して 忘れることなきように

私はこれを、「裕福な家庭に生まれた者の使命」と読みました。
執拗に「鬼になろう」と勧誘する猗窩座は、私利私欲の魂。
母に恥ずかしくない生き方をしようとした杏寿郎。
私は、煉獄母の目線で泣きました。

一方、息子は、使命を果たした煉獄さんの「強靭な精神力」に対して、
強い尊敬の念を抱いたと言っています。
完全に、炭治郎目線で泣いていたのです。

約束のネバーランドに出てくる「ドン」と鬼滅の刃の「炭治郎」。
ふたりの共通点は、
「自分が弱すぎて、仲間の役に立てないのがくやしい!! 強くなりたい!」
という気持ちです。

息子はふたりに対し全面的に共感しており、
私は母として、彼らのいじらしさがたまりませんでした。

明らかに、感動の目線が違います。
若い頃に読んだ小説が、大人になって違う味わいになる、
そんな感じかもしれません。
幼稚とか大人とか、そういうものではありません。

なぜ流行ったかを詮索するよりも
これらの作品が、なぜ多くの人々の心をつかんだのかという記事をよく目にします。

冒頭の方もそうですが、自分が全くおもしろく感じなかった作品に対して
「なんでこんなものが」って思う気持ちは、わからなくもありません。

私自身、本屋大賞を受賞したある小説を読んで、
「上っ面でこんな風に描かないでよ」と思ったことがあります。
今でもその感想は変わりませんが、たくさんの人が感動していることは
知っています。

が、それだけのことです。
いい作品かどうかの基準が「たくさんの人を感動させた」ということならば、
その小説はいい作品なのだと思います。私が単に好まないというだけで。
感動している人たちに、批判的な思いもありません。

作品には、いいも悪いもなくて、もちろん、幼稚も大人もなくて、
自分に引き付けて観たときに、どこかにひっかかれば、
心がわーっと動く。ただ、それだけなのではないでしょうか。


「これを本気でおもしろいという大人は、幼稚すぎるんじゃないか?」
という意見は
「豚骨ラーメンを本気でうまいと言ってる人は、味オンチなんじゃないか?」
っていうのと同じ。

平和に行きましょう。